風物詩

風物詩

東洋一院内銀山

東洋一院内銀山

院内銀山は慶長11年(1606)に発見され、江戸時代には「天保の盛り山」と称される日本最大の銀山でありました。当時の人口は15,000人を超え、城下町久保田(現在の秋田市)をしのぐほど活況を呈したそうです。しかしその後は銀価の崩落や鉱脈の掘り尽くしから次第に衰退し、昭和29年(1954)に閉山。現在では、当時の坑口など約350年の歴史ある院内銀山跡地を観ることができます。 (https://www.city-yuzawa.jp/site/yuzawatrip/732.html)
秋田湯沢 小町の郷

秋田湯沢 小町の郷

秋田県湯沢市雄勝地域は、小野小町の生誕の地と言われており、「小町堂(芍薬堂)」などゆかりの史跡が点在しています。毎年6月第二日曜日には小野小町をしのぶ「小町まつり」が行われ、市内から選ばれた7人の小町娘とともに町は賑わいます。 (​​https://www.city-yuzawa.jp/site/yuzawatrip/689.html)
芍薬と小町伝説

芍薬と小町伝説

小野小町を想う深草少将は小町に恋文を送りますが、小町はすぐに会おうとはせず毎日一株ずつ芍薬を百株まで植えるよう伝えます。小町を心から慕う少将は1日も欠かすことなく九十九本の芍薬を植え続け、ついに100日目の夜。百本目の芍薬を持った深草少将は通い慣れた道に出かけますが、ひどく降り続いた秋雨に橋ごと流され不幸にも亡くなってしまいます。小町は悲しみに暮れ、少将の亡骸を森子山(現在の二ツ森)に葬り、芍薬には99首の歌を捧げたそうです。 (https://michinoeki-ogachi.jp/komachi.html)
菅江真澄の道

菅江真澄の道

江戸時代の紀行家・菅江真澄から名付けられた「菅江真澄と巡るあきたの道」は秋田県の奥州街道沿いとなる国道13号から国道7号、国道101号にかけての地域を対象としたルートです。観光、文化、自然、食などルート沿線に沿った秋田の地域資源を楽しむことができます。 (https://www.thr.mlit.go.jp/road/sesaku/touhoku_fuukeikaidou/route/route04.html)

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